この瞳が染まっても



 ひやり、と頬を撫でた冷気に僕は意識を浮上させた。…今日は丸一日休みで、
 夕べから一騎の家へ泊まりに来ていた。久し振りの二人きりの時間につい抑え
 きれずに濃密な夜を過ごしてしまったのだけれど―――
「一騎?」
 明日は昼まで寝てやるからな!なんて言っていた一騎の姿は僕の隣にはなく。

「総士、見ろよ!!すっげー雪!!」
 部屋の窓を全開にしていた。
「ああ…」
 確かに、一騎の言う通り窓の外は一面銀世界。しかもまだ雪は降り続いている。

「なあ、外に出ようぜ!」
「いや…すまない一騎、もう少し待ってくれないか?寒くて身体が動かないんだ」
 一騎だって起き抜けの筈なのに、目はきらきら輝いて背筋もすっと伸びている。
 外に出たくてうずうずしている犬みたいに期待に満ち溢れた表情だ。

「そっか、総士は冬生まれのくせに寒いの駄目だもんな!」
 しょうがないなあと笑って窓を閉め、一騎はヒーターのスイッチを入れた。
「仕方がないだろう、体質なんだから。…一騎」
「うん?……ん、」
 手招きしたら一騎はすぐに傍に来て。僕は目覚まし代わりにと一騎にキスする。

「……一騎」
「なに?」
「雪の匂いがする」
 僕が目覚める随分前から窓際で雪を浴びていたみたいだ。
 澄んで冷たい独特の空気が一騎からして、…また唇を合わせた。

「ふ…ぁ…、っ」
「流石に唇は一騎の味だな?」
「…ばか」
 ぎゅうう、と照れ隠しに僕に抱きつき、肩口に額を擦り寄せて。
「雪の味の方が良かったとか言うなよ?」
 そう可愛らしい事を言う。…おかげで眠気はすっかり醒めた。

「言う訳ないだろう、僕がいつでも欲しているのは一騎なんだから」
「うわ…」
 偽りない気持ちを囁いたら、一騎は真っ赤になって身体を離した。
「総士さあ、寝起きでよくそんなくっさい事言えるよな」
「一騎の元気さには敵わないと思うが」
「そもそも比較対象が違いすぎるんじゃないか、それ…」

 呆れ口調ながらも表情は穏やかで。闘いの隙間の僅かなひとときに安堵する。
「じゃあ、まだ寝惚けている事にしてくれ」
「しょうがないな総士は。それならモーニングコーヒー淹れてやるから、ちゃんと
 目え覚ますんだぞ」
「一騎からキスしてくれれば今すぐ目が醒めると思うが」
 するりと頬を撫でたら、一騎はまた頬を染めて立ち上がった。…怒ったか?

「これ以上は駄目!!き、昨日のこと思い出して変になる…っ」
「かずき、」
「お、オレコーヒー淹れてくるから!おとなしく待ってろよッ」
 怒ったのかと思ったら、羞恥で居た堪れなくなっただけらしい。
 一騎はそう言うと足音も荒く台所へ行ってしまった。

 …そういえば夕べの一騎はいつになく甘えて乱れてくれた…気がする。
「ふ、」
 思い出したらつい笑みが零れてしまって。頬を軽く叩き布団を抜ける。まだ少し
 寒いが、ヒーターのお陰で部屋も暖まってきたしこれなら着替えも出来そうだ。

 一騎も着替えていたみたいだし、僕もちゃんと着替えておいて…コーヒーを
 飲んだら一騎の望み通り外に出て雪遊びをしようと決意して。
 着替えた後は布団を片して、ヒーターの前に座を置いて暖を取っていた所為で
 またうとうとしてしまって…一騎の弾む様な声で起こされた。

「そーうしっ!待たせたな」
「っ、ああ、いや……」
 慌てて意識をちゃんとさせて、ふと。一騎の持っているトレイにカップ以外の
 影を見つけて首をひねる。
「一騎、なんだ…それは」

「雪兎!コーヒー落としてる間に作ったんだ。これなら外に出なくても雪を目で
 楽しめるだろ?」
「一騎…」
「ほら、ちゃんと目も耳も上手く出来てるだろ?」
 はい、とトレイを僕の顔の前まで降ろしてくれて。僕は急いでヒーターを切る。

「総士?なに切ってんだよ?」
「…溶けるだろう?折角一騎が作ってくれたのに」
「ばかだな総士…コーヒー飲む間だけのつもりだったんだから気にすんなって」
 はい、とカップを渡すと一騎はトレイをテーブルに置き、ヒーターをつけた。
「お前に寒い思いさせんの嫌だからな」
「だが、」
「いいから!コーヒー飲めよ総士。なっ」

 自棄でも意地でもなく、本当に優しい笑みで僕を促して隣に陣取った一騎に頷き
 僕はありがたくコーヒーを口にする。一騎の作った雪兎を眺めながら。…と。

「う、……っ」
 一瞬目の奥が痛んで視界が真紅に染まる。
「総士?どうした?」
 それを悟られないように掌で覆い、瞼を伏せ気味にして一騎から隠す。
「いや、睫が入ったみたいで…少し痛んだだけだ」
「え?じゃあオレ、とってやろうか?」
「大丈夫だ、…」
 軽く指で瞼を擦って誤魔化し、カップに揺れる水面で瞳の色を確認して。

「もう取れたから平気だぞ、一騎」
「そうか?ならいいけど」
 そっと目尻を撫でられて鼓動が跳ねる。
「もしかしてドライアイとかかも知れないしさ、また痛くなったら遠見医院に
 行こうな?」
「そう、だな」

 もしそうならどれだけいいか。けれど…分かっている。自分の身体の限界は。
「一騎」
「ん?」
「…いや。雪兎、可愛いな」
 真っ赤な実を瞳として埋め込まれたそれは、まるでこの島の子供達の行く末を
 示唆している様で―――切なくなるけれど。

 一騎が僕の為にと作ってくれたそれは愛しくて。

「後で僕も作ってみたいから、一緒に外に出よう」
「っいいのか!?」
「雪だるまも雪合戦も…そうだな、ソリ遊びもしようか」
 限られた時間の中で、一つでも多く僕との時間を一騎に覚えていて欲しいから。

「かまくらも作りたい!!」
「ああ、作ろう」
「やった〜!」
 僕がカップをテーブルに置いたのを見て、一騎は抱きついてきた。
「じゃあ総士が寒くないようにカイロ出してやるな!マフラーと手袋も!」
「それは助かるな」
 ぐ、と強く抱き返して温もりを味わい、…誓う。

 僕の、この瞳が染まっても。竜宮だけは護り抜いてみせる。一騎やみんなの瞳を
 染め尽くしてしまう前に闘いを終わらせてみせる、と。

「その前に朝飯だな!待ってろ、すぐ用意してくるから!」
「僕も手伝う」

 そんな密かな決意を、まるで見定める様に。

「じゃあご褒美に総士の好きなおかず、何でも作ってやるぞ?なにがいい?」
「そうだな…」

 雪兎の紅い瞳が部屋を出る僕達をじっと映し続けていた。だから。

 この身が朽ち果て消えるまで―――どうか最期のその時まで。一騎の傍に存在し
 闘い続ける事を。その紅い瞳に願い、祈って。

「待て一騎、その前にあれを外に出そう」

 少しでもその儚い願いが叶うように、雪兎が溶けて消えぬ様外に出した。
 叶わない願いと知りつつ、それでも縋る自身にどうしようもない嫌悪と、
 一騎への尽きぬ想いを胸に抱きながら……。